米生産者が先住民の棚田稲作を観た!

製作中です。暫くお待ちを・・・・・。

投稿者 kurose :2005年07月18日

お米の品種・「あきたこまち」は美味しいお米

「あきたこまち」とは、 どんな  (品種の特徴など)

 お米の味は、作り方・栽培方法や品種、 気候風土や土質など種々の要因によって微妙に異なります。
 中でも、「品種」の違いは味に大きな影響を及ぼします。
 このために、お米・イネは、イネの生い立ちや、お米の用途などによって色々の種類や区分に別けられて品種改良が進められてきました。

 このページでは、これらについて簡単に触れながら「あきたこまち」の特徴を紹介します。

 お米種類  【長粒種短粒種(ジャポニカ米)】 【糯米粳米

 お米(イネ)の種類は、主に外国で栽培されている、 パサついた食感の長粒種や中粒種と、主に日本で栽培されていて、 日本人好みの粘りのある銀シャリが炊き上がる短粒種(ジャポニカ米) の2つに区分されます。

 また、この2つの区分の中に、糯(モチ) 米と、 粳(ウルチ)米に再区分され、それぞれの中に種々の 「品種」があります。
 私たち日本人が、日頃ご飯として戴いているのは、短粒種(ジャポニカ米)の粳(ウルチ)米のカテゴリーに入ります。
 この中で有名なものが「あきたこまち」「コシヒカリ」「キララ」「日本晴」「ひとめぼれ」「ササニシキ」などとなる訳です。

 品種によるご飯特徴追求

  世の中では、何でも係数で表したり、機械的に表示することが、あたかも科学的で知的であるかのような錯覚があります。
 しかし、「味」は感覚・感性の分野ですので、本来的に係数表示は無理です。
 「美味しい・不味い」は、人により感じ方が異なって当たり前です。
 「味」とはこのようなものであるにもかかわらず、20年ほど前から、頭が良いというか、ずる賢いと言うか、 要するに金儲けの上手な2つの精米機メーカーが、「お米の食味計」「お米の味度メーター」という計測器を相次いで売り出して、 大儲けしました。
 このお米は「味度○点だから、抜群に美味しい。」「食味メーター○○だから不味い。」などど実に判りやすく表示するものですから、 この計測器は大売れに売れました。
 ところが、だんだん化けの皮が剥がれて来ました。同じ品種、同じ産地のお米のデーターを並べると、中には、 新米よりも3年も前の古米の方が美味しいという係数を出すことがあるではありませんか。・・・・・これは、何も不思議ではありません、 ごく当然のことです。「係数は正しいハズ。」との先入観を持ったり、メーカーの暗示に掛かっている人だけが「計測器が狂った。」 と慌てるのです。
 また、メーカーやこの計器を信奉し続けてきた人の中に、今でも「食味計や味度メーターは、この20年で、種々の問題を改善して、 相当信頼できるようになった。」・・・・・と言っておられるノーテンキな方を見かけますが、何度も言うように、 美味しさを係数で表すことは元来無理なのです。

 このように、例えば、塩分濃度や甘さは、精密な塩分計や糖度計で正しく計測表示することが可能ですが、「美味しさ」や「不味さ」 はこれとは本質的に違って、計測したり、係数で表すことはできません。
 美味しい不味いという感性は、音楽の分野で言えば、ベートーベンが上かモーツアルトが上か、絵画の分野にすれば、 ゴッホがよいかルノアールが良いかを計り比べる機器を作る話です。計測できなくて当たり前です。

 そこで、お米・ご飯の味は、係数で表すのではなくて、 人それぞれによって異なる次のような、美味しい・ 不味いの受感構成要素ごとの特性を追求することが適当だと思われます。

1、パサついたご飯か or 粘りがあるご飯

2、白度が高いか or 低いか  (真っ白のご飯か  or 飴色がかっているか)

3、淡白な味か  or コクや風味がある

4、硬めの食感か or 柔らか目の食感

5、炊きたては美味しいが、 冷めるとマズイか or 炊きたても、 冷めても共に美味しい
      (炊きたてと、冷めご飯の間に、食感や味の違いが少ないか、多いか)

 

「あきたこまち」の品種特性  上の赤字の分類となります

 これを味の特徴として表現すると「あきたこまち」 は・・・・・

 コクや風味があって、粘りが強く、炊きたてはむろんのこと、お弁当やおニギリに、冷めても美味しいお米です。
 また、玄米や分つき米は、どうしてもパサついたご飯になり勝ちですが、
「あきたこまち」玄米分つき米、或いは発芽玄米でもよく粘り、食感の良いご飯に炊き上がります。 ・・・・・・・ このようなご飯を好む方には、「あきたこまち」は、日本で一番美味しいお米です。

(ですから・・・ 「ドライカレーに使うようなパサついたご飯をお好みの方には、不向きなお米です。」となります。)

 

 一 口 メ モ ・・・・・ 一流のお寿司屋さんで使われているお米は、 不味(マズ)いお米。

 日本は「瑞穂(ミズホ)の国」と言われるだけあって、どの地方を訪ねても、 地元の人々は「我が地域は昔から美味しいお米が穫れる豊かな処・・・・・。」という自慢話によく出会います。

 そして次に、いかに美味しい良質米の産地かを証明する為に、次のような例え話が出ることがあります。

「ここの米は、昔から江戸の(京の)(大阪の)(福岡の) 一流の寿司屋さんが使い続けていた・・・・・云々。」

 この一流の寿司屋さんが買い求めていたというのが本当ならば、実は逆に、 ここのお米はご飯としては余り美味しくない産地だということを証明しているのです。
 そもそも一流の寿司屋さんが使うお米は、普通のご飯で美味しいと感じる、粘りがあったり、コクや風味があると、 寿司の微妙な味付けや寿司ネタの味を殺します。
 とは言いましても、カウンターで食べる一流の寿司屋さん用のお米が、単純に不味くて質の悪いお米では困りますが、どちらかと言えば、 ご飯として食べるには、余り美味しくないお米・自己主張の少ないお米が向いているのです。

 実際にも、関東方面の超一流の寿司屋さんは、単に不味いお米ではなく、硬めで、よく噛むと奥ゆかしい味わいが出ることで、 一昔前には人気の高かった宮城などのササニシキを、更に風味を抑える目的で、わざわざ古米にしてから使っているという話を聞きました。・・・ ・・・・これは、特にこだわった高級寿司の世界では本当の話だと思います。

 ですから、我が家の自慢の「あきたこまち」や新潟魚沼の「コシヒカリ」などは一流の寿司屋さん用には不向きなのです。
 逆に、持ち帰り寿司(安物のお寿司)には、ご飯にして美味しい、コクや風味粘りのある「あきたこまち」は好適です。
 更に、持ち帰り寿司用には、コクや風味、粘りの強い「あきたこまち」を使うだけでなく、更に、 酢と甘味など味付けを濃い目にするのが喜ばれるのです。

 

 二 口 メ モ ・・・・・ 昔「ササニシキ」・・・・・今「あきたこまち」・「コシヒカリ」 。

 洋服などのハヤリ(流行)ほどではありませんが、時代と共に、美味しいと感じる人々の食感も変わり、 これによって好まれる品種も変化します。
 一昔前までは、日本のお米の優良品種として、西の「日本晴れ」 に対する東の横綱として宮城などの 「ササニシキ」が有名でした。
 でも、今のササニシキに往時の面影はありません。
 これは、ササニシキの品質が劣化したからではありません。また、 往時に比べてササニシキを遥かに凌ぐ美味しい品種が開発されたからでもありません。
 
 そして、今好まれている品種の横綱級は、ササニシキよりも前からあった「コシヒカリ」と「あきたこまち」 です。(「あきたこまち」は、「ササニシキ」よりも新しい昭和58年からの品種)
 コシこまちは、 柔らかく粘りのある特性を持っています。 ササニシキは、硬めのコクのある品種特性を持っています。
 なぜ「コシヒカリ」や「あきたこまち」が好まれるようになって「ササニシキ」が凋落したのでしょう。
 これには諸説ありますが、私が納得できる理由は、日本人が礼儀正しい食生活をしなくなったからだと思います。

 一昔前までは、食事は正座して、キチンと「戴きます。」と手を合わせ挨拶して食事を始め、よく噛んで食べるのが当たり前でした。 よく噛むと硬めで上品な味を持っていたササニシキの特徴は、存分に引き出されていました。
 ところが、最近は、食事マナーが乱れて、正座もしません。挨拶もしません。噛むこともしません。 ご飯を口に詰め込んで飲み込むスタイルの食事マナーになってきたのです。こうした食事スタイルでは「美味しい」と感じるご飯の特徴は、 とにかく柔らかく粘りがあって、口に放り込んだ時の口当たりが良いことが第一です。
 これに向いているのが「コシヒカリ」が一番で、次に「あきたこまち」が向いているのです。
 「あきたこまち」は、「コシヒカリ」に比べると、ご飯粒に張りがあるので、そのまま飲み込む粗雑な無作法者には、 コシヒカリに比べて少し嫌われるのですが、粘りがあって口当たりも良く、コクや風味を併せて求められる方には「あきたこまち」 は一番喜ばれるようです。

 

関連情報・・・・・・・ コ  コ  もご覧下さい。

 

 

 

投稿者 kurose :2005年06月01日

フィリピン先住民の棚田稲作を訪ねて

                フィリピン棚田稲作訪問記  (ギャラリー編)
☆我が農舎の有機米作りとの関連などの報告は、農作業の合間に作って後で貼る予定。お楽しみに・・・・・。
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    標高1200から1300メートルの高地にある古い歴史を持つ棚田の村「マリコン」
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 2005年2月下旬に國學院大學で民族と経済という講座を持ち、雲南・パプアニューギニア・フィリピンなどの先住民族の生活などを研究されている大崎正治教授のお誘いで、フィリピンの奥地、標高1300から1400メートルの高地で、棚田稲作を行っているマリコン村を訪ねました。
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 上は、マニラから路線バス7時間余りの街BAGUIO(バギオ)。ここで1泊。下は更に奥地の街BONTOC(ボントク)にボロバスで向かう。標高1000メートル余りの山岳道路からの風景。大崎さんの説明では、この山は、ここ30年間ほどで、原生林が焼かれ、段々畑が次々に出現し、自然破壊や、この段々畑の野菜に使われる農薬で下流の村では奇形児発生などが問題となっていると言う。
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 目的地に行く最後の街・標高800メートルにあるBONTOC(ボントク)の街やマーケットでの風景。この街で宿泊、ホテルではトイレやシャワーの水がほとんど出ない。バスの屋根には足をくくった豚も乗っています。
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 BONTOCの街で一泊し、翌朝先住民の村に滞在中の食糧を仕入れ、先住民の村からの迎えのジープニーで、さらに奥地の山岳道路に挑みました。
 ジープニーは、ポンコツ車を利用して、一番右の写真のようにシャーシーやボンネットまで器用に手作りした代物。でも、ハンドル・ブレーキ・アクセル・クラッチという動くに必要な、最低限の機能があるだけ。メーターもライトも何も付いていません。途中の山道では青息吐息、オーバーヒートの連続です。
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 峠を越して、やっと目的地マリコンの村と外界の接点であり、車が通る道路の終点に着きました。そこには小さな田んぼがあって、田植えが始まっていました。
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 ジープニーを捨て、これからマリコンの集落まで、リックを担いだ徒歩の工程です。滞在予定の集落まで棚田の畦道をどんどん歩いて行く道すがらのスナップです。1200メートル地帯の本格的な石垣棚田が素晴らしいです。苗代も見えます。泥田で遊ぶ子供も見えます。
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 のんびりと水牛での代掻きも行われていました。街への買い物帰りの村の女性とも道連れになりました。畦道から見ていると田んぼの中に、稲クズの輪がありました。現地の方の説明を推察すると・・・・数年前に、ジャンボタニシがこの村に持ち込まれたようだ。日本でも、ジャンボタニシは、四国、九州を中心に異常繁殖して大きな環境破壊問題が発生しています。エスカルゴの代用として、養殖場から逃げ出したジャンボタニシが田んぼで増殖して、稲を食べるという被害が出ているのです。ここの人も、これを捕まえるために稲クズを積んでいるようです。この村では、農薬は使われていませんが、私たちに、「タニシを殺す農薬はないか。」と問いかけてきたように、外来生物を持ち込まれた環境汚染に困っているようです。
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 標高1300メートルとは言っても日中は30度を越す暑さ、汗びっしょりでクタクタでしたが、やっと滞在する先住民の村マリコンの集落に着きました。村に入ると、早速、稲穂を担いだ村人に逢いました。住居の傍には必ず石垣で作った黒豚の檻があり、これが住民の便所です。人々は、この石垣の上から大小便を行い、大便は豚の最高の栄養源という循環体制が完備されていました。
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 下の最初の写真は、私たち一行4人が滞在した家です。かっては茅葺だったそうですが、文化の向上?で屋根外壁にはトタンが使われるようになり風情はありません。村の中のスナップを数枚貼ります。大崎さんは20年ほど前に1年間この先住民の村で生活しながら研究したということで、大いに歓迎され、翌晩は村人に招かれてドブロクを振舞われました。☆最後の写真は、稲倉。(頑丈に作られています。)
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 下の写真は、得がたい代物です。・・・・・銅製のドラに付いている根付は人間の下顎(あご)です。
(ここからの説明は、知識不足で偏見・飛躍・誤解などが入っている?可能性もありますヨ。)  この先住民も首狩り族と呼ばれることがあるそうです。何故、人間の首を・・・・・?。 ここの先住民は太古から稲作を行っています。狩猟や遊牧民と違って、稲作民は、定住の地を守ることが大事です。そのためには、他の部族や隣り村の者が収穫物を収奪したり、稲作にとって一番大事な水系を乱すなど、集落を襲撃したときには、村の男は一丸となって刃で戦います。時には、報復のために隣村も攻めます。その時、相手の首領を倒せば、首を落とし持ち帰り、村中で祝杯をあげます。その首を取った男は定住の地を守った勇者であり部族の誉れです。その男の家は、下顎をドラの根付にして、代々誇りの証=「家宝」としているようです。・・・・・このように「首狩り族」と言えば、他族を見れば無差別に殺戮し食べてしまうように恐れられますが、実際は、そうではなくて、定住の地を守るという合理的な目的による行為のようです。☆大崎さんの話では、外部の者にこの下顎の根付けのついたドラを見せてくれることは、ほとんどない。ということです。この家には4つも5つも下顎つきドラがありました。
 この晩は、招いてくれた主(あるじ)の気分がすこぶる好く、またドブロクの酔いも手伝ったのでしょうか、私たちは首を取られることもなく、珍しいドラが見られて幸運でした。
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 村の田んぼを見ようと出かけたら米搗きの音が聞こえてきました。早速その家に飛び込み写真を撮らせていただきました。この村では、稲は、穂首だけを刈り取り、束ねて干し、そのまま稲倉で貯蔵します。村に着いた時の写真のように、必要に応じて乾かして貯蔵していた稲束を、稲倉から持ち帰り、家で米搗きを行います。日本なら、稲刈り、脱穀、乾燥、籾摺り、玄米貯蔵、精米という工程ですが、ここでは、稲刈り、稲束のままで乾燥し貯蔵、その後は、脱穀、籾摺り、精米の工程を臼で一度に仕上げるという仕組みです。 (マリコンの村の全景も貼ります。)
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 村の米作りは、標高1200メートルの低い地域から順に高度を上げて作業が始まるようです。一番高い地域を訪れると、種まき=苗代つくりの最中でした。種まきは、米搗きで説明したように脱穀工程が無いために、モミはバラ撒きではなくて、稲穂を1穂ごとに、苗床に綺麗に並べているという、珍しい方法でした。苗床に均一にモミをバラ撒くことは中々難しいですが、このように稲穂を並べるという播種方式によって、発芽した苗は、整列していて、日光や風通しが良く、健康な苗作りの工夫(技術)だと感心しました。
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 マリコン村の石垣棚田を観察に廻ったスナップを数枚貼ります。2人の写真は私と大崎教授で標高1300メートル地点です。
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 マリコンの村からの帰りは、BONTOC(ボントク)の街に引上げ一泊した後、往きの道とは代えて、世界遺産に指定されたBanaue(バナウエ)の棚田を訪ねるコースをとりました。
 BONTOCからBanaueに通じる山岳道路は、標高2000メートル地帯を通過。悪路の連続。途中でボロバスはパンク。数年前までは共産ゲリラが頻繁に出没したとのことで、今でも、峠にはゲリラ対策として軍の強固な基地が置かれていました。
 Banaueは、20年ほど前からトレッキングツアーに訪れる方が増え、土産物屋や民族衣装を着て写真のモデルで稼ぐ女性まで出て来るようになり、最近、世界遺産に指定されたそうです。でも、僻地ですので、私たち4人以外に観光客などの姿はありませんでした。
 では最後に、その世界遺産の棚田と、先住民の美女をど〜ぞ。
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 世界遺産になったBanaue(バナウエ)の棚田( 「凄い!」 という言葉が自然に口から出ますよ。

 
☆一般のトレッキングツアーでは、世界遺産になったBanaueの棚田見学が限度で、このような奥地に入り込むことは難しいです。私たちは、大崎教授のお陰で、先住民の村・マリコンに滞在できたもので、有意義な愉しい旅ができました。
◎先住民の生活や文化、或いは訪問などについて、興味や関心のある方は、下記の参考書や大崎先生にご相談下さい。すこぶる短気ですが、とても親切ですよ。
〒355−0323 埼玉県比企郡小川町下里823 大崎 正治(國學院大学教授)
電話:0493−73−1303  FAX:0493−73−1433  
E-mail:masaosak@kokugakuin.ac.jp
國學院大學研究室の電話 03−5466−0342 Fax 5466−2340
 参考図書 : 「フィリピン国ボントク村」 大崎正治著・農文協出版

☆我が農舎の有機米作りとの関連などの報告は、農作業の合間に作って後で貼る予定。お楽しみに・・・・・。

 

投稿者 kurose :2005年03月03日

朝日新聞ーひと 04年9月(その他)

朝日新聞「ひと」 20004年9月23日

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秋田魁新報  台風激甚災害 20004年8月30日
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朝日新聞  村長再選 20004年8月30日

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秋田県町村時報・随想記事         (秋田町村会HPへリンク  コ  コ)


投稿者 kurose :2004年09月25日

黒瀬家の爺さんなど

     中日新聞ー滋賀版(2004年6月)
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       朝日新聞ー滋賀版(2004年6月)
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 京都新聞  (平成15年5月24日)

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        滋賀県八日市市広報(平成15年5月1日号)
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投稿者 kurose :2004年07月11日